山形地方裁判所 昭和39年(ワ)120号 判決 1965年8月31日
原告 佐藤菊雄
右訴訟代理人弁護士 皆川泉
被告 船田高信
右訴訟代理人弁護士 鈴木右平
主文
被告は原告に対し別紙目録第一記載の建物より退去して同目録第二記載の宅地を明渡せ。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、被告は原告に対し別紙目録第一記載の建物より退去して同目録第二記載の宅地を明渡し、且つ昭和三十三年十一月十三日以降右明渡済に至る迄一個年につき金一万二千五百円の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とするとの判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因及び被告の主張に対する答弁として、
一、別紙目録第二記載の宅地(以下、本件宅地)は元訴外荒木栄一の所有であり、被告が之を同訴外人より賃借し、同地上に別紙目録第一記載の建物(以下、本件建物)を所有して居住していたところ、被告は昭和三十三年九月十九日本件建物を原告の妻訴外佐藤みつゑに売渡し、同月二十四日その旨の所有権移転登記手続を経由したが、建物の明渡が履行されないまま日時を経過する内、昭和三十三年十一月十二日に至り、原告は訴外荒木より本件建物の敷地である本件宅地を買受けてその所有権を取得した。
二、而して被告は、本件建物を訴外佐藤みつゑに売渡した後、之を占有使用するにつき同訴外人との間に何等正当権原がない許りでなく、本件建物を訴外佐藤に売渡したことにより当然前地主訴外荒木との間の敷地賃借権を喪い、他に本件宅地を占有使用すべき正権原を有しないから、被告が依然として本件建物に居住していることは、該敷地の不法占拠に当るものと言わねばならない。
三、よって、原告は本件宅地の所有権に基づき、被告に対し、本件建物より退去して本件宅地を明渡すべきことを求めると共に、原告が被告の不法占拠により本件宅地を利用し得なかった損害の賠償として、所有権取得の翌日である昭和三十三年十一月十三日以降右明渡済に至る迄一ヶ年当り金一万二千五百円の割合による金員、但し本件宅地の買受代金四十五万円に対する年三分の割合の適正地代相当額の支払を求めるため本訴に及んだ次第である。
四、被告の妨訴抗弁及び留置権の抗弁は何れも之を否認する。
(一) 被告主張の山形地方裁判所昭和三四年(ワ)第八一号事件及び仙台高等裁判所昭和三五年(ネ)第一八四号事件、即ち訴外佐藤みつゑより被告に対する本件建物明渡請求事件が同訴外人の敗訴に確定した事実は之を認めるが、右の判決確定の事実は、原告が本件宅地の所有権に基づき被告に対して妨害の排除を求める本件の審判に、何等影響を及ぼすものでない。妨訴抗弁に関するその余の事実は之を否認する。
(二) 昭和三十三年九月十九日被告が原告に対し、本件宅地建物を訴外伊藤喜太郎の保証の下に代金百十万円で売渡す旨の契約が締結された事実は之を争わない。然し乍ら、売買目的物の内本件宅地が被告の所有に属さなかったため、之を分離して本件建物の代金二十三万円を支払い、原告の妻名義に所有権移転登記を完了してこの部分の契約を完結したところ、その後も被告は本件宅地の所有権を原告に移転することが不能であったので、原告は改めて昭和三十三年十一月十二日訴外荒木より本件宅地を金四十五万円で買受けた上、昭和三十四年三月十七日被告との間の売買契約の内、本件宅地に関する部分を履行不能を原因に解除した。以上の次第で、被告は本件宅地建物につき何等債権を有しないから、本件宅地に留置権を行使することが出来ない。
と陳述し、立証≪省略≫
被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁並びに抗弁として、
一、請求の原因第一項は之を認める。同第二項は、被告が従前より本件建物に居住している点のみを認め、その余を否認する。同第三項は之を否認する。
二、原告は、本訴と同一内容の訴である山形地方裁判所昭和三六年(ワ)第六四号、第六五号事件を昭和三十七年九月二十四日に取下げた。又、本訴と同一内容の訴である山形地方裁判所昭和三四年(ワ)第八一号事件及びその控訴事件の仙台高等裁判所昭和三五年(ネ)第一八四号事件が、原告の敗訴に確定している。従って、本訴は民事訴訟法第二百三十七条第二項に違反して提起されたものである。
三、仮に右の主張が理由がないとした場合、被告は本件宅地につき留置権行使の抗弁を提出する。即ち、昭和三十三年九月十九日被告は原告に対し、本件宅地建物を訴外伊藤喜太郎の保証の下に代金百十万円で売渡す契約を締結した。然るに、原告は被告に対し内金二十三万円を支払ったのみでその余を支払わないまま今日に及んでいる。尤も、被告は原告の申出により、本件建物につき原告の妻訴外佐藤みつゑに所有権移転登記手続を経由したが、それは建物の売買代金が完済されたことを意味するものではない。又、右売買契約は原告の解除通知により解除されているものの、売主たる被告は尚原告に対し売買残代金の請求権を有するので、右債務が履行される迄本件宅地建物を留置する権利がある。以上何れにしても本訴請求は失当である。
と陳述し、立証≪省略≫
理由
一、請求の原因第一項の事実、被告が昭和三十三年九月十九日以前より本件建物に居住し、その占有使用を継続している事実、山形地方裁判所昭和三四年(ワ)第八一号事件及びその控訴事件の仙台高等裁判所昭和三五年(ネ)第一八四号事件が確定した事実並びに昭和三十三年九月十九日被告が原告に対し本件宅地建物を訴外伊藤喜太郎の保証の下に代金百十万円で売渡す旨の契約が締結され、内金二十三万円が支払われた上本件建物について被告より訴外佐藤みつゑに所有権移転登記手続が経由され、且つ右売買契約の内本件宅地に関する契約が解除された事実は、何れも当事者間に争がない。
二、よって先ず、被告主張の妨訴抗弁の当否について案ずるに、被告は本件と同一内容の訴である山形地方裁判所昭和三六年(ワ)第六四号、第六五号事件が昭和三十七年九月二十四日に取下げられていると主張するが、右の取下が当事者、訴訟物、終局判決の存在等の諸点に於て民事訴訟法第二百三十七条第二項に該当するものか何うかについて全く立証がないので、右の主張は排斥を免かれない。被告は次いで、本件と同一内容の山形地方裁判所昭和三四年(ワ)第八一号事件及びその控訴事件の仙台高等裁判所昭和三五年(ネ)第一八四号事件が原告の敗訴に確定しているので、本訴が再訴禁止の規定に牴触すると主張する。然し乍ら、民事訴訟法第二百三十七条第二項の規定する再訴の禁止は、本案につき終局判決があった後訴を取下げた場合に適用されるものであって、被告主張の如き判決確定の場合を規定したものではないから、右主張はそれ自体失当と言わねばならない。それ許りでなく、≪証拠省略≫によると、被告主張の山形地方裁判所昭和三四年(ワ)第八一号事件の原告及びその控訴事件の仙台高等裁判所昭和三五年(ネ)第一八四号事件の控訴人は、何れも訴外佐藤みつゑであることが認められるところ、本件の原告佐藤菊雄が同訴外人の一般承継人又は特定承継人の地位にあることにつき何等証明がなく、被告主張の両事件と本件とでは先ず当事者が異ると認める外はないから、爾余の点につき判断するまでもなく両者は同一の訴に属しないものであり、従って被告の右主張はこの点に於ても失当である。以上の次第で、被告の妨訴抗弁はすべて理由がなく、本訴は適法であると言わねばならない。
三、そこで本案について判断を進めるに、被告の居住する本件建物が訴外佐藤みつゑの所有に属し、その敷地の本件宅地が原告の所有に属することは当事者間に争がないので、建物所有者でない被告の建物占有が果して敷地占有を伴うものか否かが先ず検討されなければならない。ところで、現行法上建物はその敷地とは別個の所有権及びその他の権利の客体とされるので、敷地を離れた建物独自の法律関係が成立するのは言う迄もないところである。然し、建物は土地の上に存するものであり、敷地の占有使用を離れた建物と言うものは考えられないので、建物内に居住すると言うことは敷地の占有を必然の内容とするものとみなければならない。本件に於ける被告の敷地占有は、建物所有者訴外佐藤の敷地占有に比較すれば間接的なものではあるが、之を占有する関係に立っていることは動かし得ないことである。従って被告に於て本件宅地を占有使用する正権原の存在につき主張立証を尽くさない限り、被告は本件宅地の不法占拠者となり、原告の所有権に基づく妨害排除の請求に服さなければならない。
四、而して被告は、本件宅地に留置権を有し、その権利を行使すると主張するので検討するに、被告の主張によると、被告は原告に対し昭和三十三年九月十九日本件宅地建物を代金百十万円で売渡したところ、内金二十三万円が支払われたのみで残代金が未払のままであるから、本件宅地に関して生じた債権を有すると言うのであるが、他方被告はまた、右売買契約が後日解除された旨を附陳している。そうだとすると、売買契約の解除に伴い原被告は原状回復義務を負担するに至り、最早売主たる被告に売買残代金の請求が残らない筈である。故に、被告の主張は前後相矛盾し、それ自体失当と言わねばならない。仮にそうでないとしても、被告の全立証に照らし、被告が本件宅地に関して生じた債権を有することにつき何等立証がないので、被告の留置権の抗弁は排斥を免かれない。仮に然らずとしても、原告が昭和三十三年十一月十二日訴外荒木栄一より本件宅地を買受けてその所有を取得した事実は被告の自白するところであり、又原被告間の前記売買契約の内、本件宅地に関する部分が解除されたことは少くとも原被告の主張の一致するところであるから、被告が若し売買残代金の債権を有するとすれば、それは本件建物の残代金より外にあり得ないことになる。そうだとすると、被告は、建物所有者と敷地所有者が異る場合に、建物の留置権に基づきその敷地をも留置する旨主張したことになるのであって、かかる場合、建物留置権の反射的効果として敷地留置権の成立を肯定すべきであるとも考えられるが、留置権の如き法定担保物権に、単なる反射的作用のためにその成立し得る目的物の範囲を拡張することは、留置権の企図する衡平の観念を逸脱するものと言わざるを得ないし、又建物とその敷地が別個独立の権利の客体となる現行法の建前に悖り、且つ民法第二百九十五条の「其物に関して生じたる債権を有するとき」の明文の規定に反する結果を招来するので、にわかに左祖し難いところであると言わねばならない。以上何れにしても被告の留置権の抗弁は成立しないものであり、他に本件宅地を占有使用し得る正権原につき主張立証がないから、被告は原告に対し、本件建物より退去して本件宅地を明渡すべき義務を負うと断ぜざるを得ない。
五、次に、原告は本件宅地の明渡に附帯して適正地代相当額の損害金を請求するので、この点について検討を加えるに、建物居住者たる被告が、本件宅地の不法占拠者としてその所有者の原告に対し、建物からの退去、敷地の明渡の請求に応じなければならないことは前説示の通りであるけれ共、その不法行為上の損害賠償責任については一考を要するものがある。即ち、原告が本件宅地を所有者として利用し得ない損害は、専ら本件宅地上に本件建物が存在することによって生じているのであり、被告が本件建物に居住していることによって生じているのではないと考えられるのである。従って、原告が敷地所有者として蒙る損害は、直接の関係に立つ建物所有者だけが負うべきものであり、被告が本件建物に居住していることと、原告がその敷地を使用収益出来ないこととの間には相当因果関係がない許りでなく、被告の右占有には賠償に値する程の違法性がないと解するのが相当である。尤も、建物居住者に於て殊更に敷地所有者の建物所有者に対する建物収去土地明渡の請求を妨害したり、或いは建物居住者と建物所有者とが一体となって敷地所有者の使用収益を妨害する等の特別の事情があれば格別であるけれ共、本件に於てはそのような特別事情の存在は肯認されない。却って、前顕乙第四号証及び当事者間に争なき事実によれば、本件建物所有者訴外佐藤の被告に対する本件建物の明渡請求が、昭和三十六年二月上旬頃確定判決を以って否定されていることが認められるので、被告が殊更に原告の土地所有権を妨害していると認めることが出来ないし、又原告と訴外佐藤は夫婦であるから、被告と訴外佐藤が一体となって原告の土地所有権を妨害しているとは到底考えられない。果して然らば、原告の損害賠償の請求は爾余の争点について判断を加える迄もなく失当であり、棄却を免かれないものである。
六、尚、原告は仮執行の宣言を求めているが、本件は被告に対し建物よりの退去を命ずるものであって、現時の社会状勢の下に於てこのような性質の判決を確定前に即時執行すれば、執行債務者に対し回復し難い損害を与えることが充分推認されるから、右申立は必要性を欠くものとして却下されるべきである。
七、よって、原告の本訴請求の内、被告に対し本件建物より退去して本件宅地を明渡すべきことを求める部分を正当として認容し、損害金の請求を失当として棄却し、仮執行宣言の申立を却下し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十二条を各適用した上、主文の通り判決する。
(裁判官 石垣光雄)